アル・アザール氏に敬意を表して
エイプリル社ステークホルダー諮問委員会(SAC)の2014年の創設時からメンバーを務めた、アル・アザール氏が10月12日にこの世を去り、私たちは深い悲しみに包まれています。フェローアドバイザー、彼が大切に思い、また彼を慕っていたコミュニティの人々、同僚、エイプリルの誰もが、そしてなにより、彼の妻イラティさんと4人の子どもたちが、彼の死を悼んでいます。
この深い悲しみは、彼と出会ったすべての人に及んでいます。彼は多くのグループで活動しました。実際、様々なイデオロギー、思想の流派や知識の分野の垣根を超えた交流がありました。それぞれに協力をもたらすという意味において、架け橋となる存在でした。
これは、彼自身の哲学を反映しています。彼はある時にこう語っています。「環境のダメージは、文化的なダメージであり、精神やこころ、文明を傷つけます」マレーシアとインドネシアの近代・古典文学を学び、ここでも文章表現と環境問題の間にかかる橋に気づきました。「口承文学の中に生態学的決定論がありました」と話しました。
アル・アザール氏は、とても謙虚な人物でした。また、この故人が有するそのほかの資質として、勇敢、聡明、尊敬される、親切、人格者、温和という言葉が挙げられます。
前SAC委員長のジョー・ローソンは、「私はすぐにアル・アザール氏に敬服し、それから長年にわたり信頼する同僚であり友人でもありました。インドネシアの状況を正しく捉えた視点、あるいは多くの問題に関する包括的な知識は、私が常に求めるものでした」。
「アル・アザール氏から多くのことを学びました。彼は、彼を知る誰からも尊敬される紳士でした。初めてSAC以外の場で、地元コミュニティメンバーを交えてご一緒したときに、その存在に強い印象を受けたことを覚えています。彼の隣にいることをいつでも誇らしく感じました」と語りました。
SACのフェローメンバーであるプテラ・パーサマ氏は、「アル・アザール氏に初めて会ったのは、2年ほど前に、ジャカルタでのSACの会合でオブザーバーを務めたときでした。彼が、教養があり、フレンドリーで、謙虚な人物であると気づくのに時間はかかりませんでしたし、打ち解けるのもすぐでした。そしてまた、特にリアウ州のムラユ(Melayu)コミュニティで、彼がどれほどの尊敬を集めているかも瞬時に理解しました」と振り返りました。
また、同じくSACメンバーのニール・バイロンは、「彼の穏やかな友情と寛大さ、知力、そして非常に優れたお人柄を偲びます。こんなふうに、私たちの誰にとってもお手本でした」と述べました。
エイプリルグループのプラヴィーン・シンハヴィ社長は、こう語りました。「アル・アザール氏は、SACの課題に取り組むため、多大な貢献をしました。しかし、もっとも重要なのは、彼は、委員会と地方のステークホルダー、特にコミュニティの間の橋渡しとして行動できる人間だったということです。これからも引き継がれていくそのレガシーは、皆に恩恵をもたらすランドスケープをよりよく管理するため、リアウ州のステークホルダーの間でさらに理解が深まるでしょう」。
橋というメタファーは、彼の人生のとても多くの部分に存在しました。これは、相反するグループの架け橋となり、それぞれを引き合わせたりするだけでなく、人間と広大な自然環境という関係を丸ごと受け入れようとする姿勢にもあります。地球をたんなる土壌としてではなく母として、空を父として見ていました。「樹木は、その2つを繋ぐ橋だと思っています」と彼は話しました。
私たちは、アル・アザール氏の知識と穏やかな物腰を忘れることはないでしょう。そして彼が、マレーシアの伝統的な四行詩「パントゥン」を愛していたことをいつまでも覚えているでしょう。
丘を流れる2つの川
入り江に巣をつくる1羽の鷲
2つの月がともに上り
もっとも明るい光に照らされたひとつを選ぶ